昨年末に発売されたレクシスネクシスさんのビジネスセオリー第5弾『法務・知財パーソンのための 契約交渉のセオリー 交渉準備から契約終了後までのナレッジ』は、昨年購入予定に入った書籍のなかで、1・2を争う期待度でした。



期待度が高かった理由は、著者の一人である一色正彦氏の交渉学のセミナーを受講したことがあり、そのときに日頃私自身が感じている契約交渉時の違和感を解消してくれそうな気がしたからです。

さて、結論はというと、本書の試みが、もの凄くチャレンジングなものであることは理解しつつも、私の期待度には満たなかった、というのが正直な感想です*1

契約交渉の戦略を立案する際に、①法的アプローチ、②交渉的アプローチ、③リスクマネジメント的アプローチの3つの理論が必要という枠組みの提示は素晴らしいと思います。この視点は、契約交渉を網羅的に捉える視点として、非常に優れていると思います。
ただ、その3つの理論の関係性については、「3つの理論を組み合わせた総合的なアプローチが必要」としてしまっており、総合的なアプローチを行う際の判断基準・優先順位(に関する考え方)が示されておらず、3つの理論が無関係にばらばらと記述されているだけになっています*2
また、通常、交渉学において、BATNA(バトナ)と並んで重要とされるクリエイティブ・オプションについては、具体的な契約交渉例の中で、ほとんど示されていません*3

これは、①の法的アプローチという観点からの契約交渉の具体的な提案例(代替案)についても同様です。
本書のレベルでは、実際に日々実務で直接間接を問わず契約交渉をして、頭を悩まされている方には物足りないと思います。
例えば、『シチュエーション別 提携契約の実務(第2版)』の方が、①の法的アプローチという観点からの契約交渉の具体的な提案例(代替案)も豊富で、そのレベルも高いため、実務者には『シチュエーション別 提携契約の実務(第2版)』がお勧めです。



とは言っても、私の期待、つまり、日頃私自身が感じている契約交渉時の違和感を解消には、この本も答えてくれていません*4

私の違和感というのは、おおよそ以下のようなものです。

仕事柄、紛争時の交渉を直接担当するということはよくあるのですが、ビジネスを進めるための交渉を直接担当するということはほとんどありません。
ビジネスを進めるための交渉は、ビジネスサイドの方が直接担当しており、その裏方として、契約条項の読み方、その解釈や契約上のリスクを明示して、交渉の方針、代替案の作成とその提示の順序などの提案をしています。
このような形で様々なビジネスサイドの方と一緒に契約交渉をしていくのですが、このところビジネスサイドの方と私の交渉スタンスの違いからか、認識が合わない、話がかみ合わない、ということがあり、法務としての契約交渉のアプローチに少し疑問を感じていました。より具体的には、「ビジネスサイドの方がどのようなビジネスを進めていくかの交渉(上記②の交渉的アプローチに近いもの)」と「いわゆる契約交渉(上記①の法的アプローチと③のリスクマネジメント的アプローチに近いもの)」との間に、発想の違いというか、何か根本的な違いがある気がするときがありました*5
特に、ビジネスサイドの方がどのようなビジネスを進めていくかの交渉が終わっていて、相手方から相手方のひな形で相手方有利の契約書案が示され、その契約書について交渉を行う場合、相手方提示の契約書の条件を前提に、その条件をどれだけ当社有利に引き下げられるか、という条件交渉になってしまうときに違和感を強く感じます。
私、つまり、法務としての交渉はビジネスサイドの交渉と比較して、交渉学でいうところのクリエイティブ・オプションがない、若しくは、非常に少なく、私の修正提案等がビジネスサイドの方々の発想より次元の低いものになっている気がするからです*6

そして、「どのようなビジネスを進めていくかの交渉(上記②の交渉的アプローチに近いもの)」が先に行われ、これとは無関係に「いわゆる契約交渉(上記①の法的アプローチと③のリスクマネジメント的アプローチに近いもの)」が行われていくときに、その違和感が極限に達する気がしています。

ところが、前述したように、私が一色正彦氏の交渉学のセミナーを受講し、そこではビジネス交渉(上記②の交渉的アプローチに関する交渉)を経験した際に、このようなスタンスで契約交渉を行うことができれば、よりクリエイティブな契約交渉ができるのではないかと思い、また、本書(『法務・知財パーソンのための契約交渉のセオリー』)が、①法的アプローチ、②交渉的アプローチ、③リスクマネジメント的アプローチの3つの理論が必要という枠組みの提示したときは、私の違和感が解消されるかも?!という期待がありました。
しかし、残念ながら、前述のとおり3つの理論の関係性が明らかにされていないため、結局、3つの理論がそれぞれ別々に交渉されていくことを容認するものであり、従って、「どのようなビジネスを進めていくかの交渉(上記②の交渉的アプローチに近いもの)」と「いわゆる契約交渉(上記①の法的アプローチと③のリスクマネジメント的アプローチに近いもの)」とが無関係に行われているため、私が抱いていた違和感を解消するものにはなっていませんでした。
おそらく、私の違和感を解消するためには、『総合的なアプローチ』ではない、別の理論の構築が必要で、少なくとも紙面は今の3倍くらい必要なのだと思います*7

ただ、本書のような試みは、始まったばかりとも言えそうです。というわけで、是非、第2版に期待です*8


<評価> 
『法務・知財パーソンのための 契約交渉のセオリー』  ☆☆☆
(契約交渉を担当するようになった人が、最初の頃に読む本として。もしくは、本書をきっかけに、新たな契約交渉の理論構築を行うことを考えている人にとって・・・。)

『シチュエーション別 提携契約の実務(第2版)』   ☆☆☆☆☆
(契約書上のリスクがある条項に気がつくようになり、修正交渉を視野にいれた修正案の提示が必要になった中堅(契約業務経験3~7年くらい)の法務担当者にとって。)

<脚注>
*1 一色先生、ごめんなさい。私自身、一色先生の交渉学の研修を受講したことがあり、とても素晴らしい研修だと思うのですが、その研修と本書がリンクしていないというか・・・、正直、ギャップを感じました。
*2 一色先生が共著者の一人となっている『【ビジュアル解説】交渉学入門』と比較しても、体系面というか理論面での完成度が低いように感じました。ただし、契約交渉を広い視野でとらえて、注意すべき点の示唆は与えてくれいますし、法務経験しかなかったり、法務歴が浅いと見えてこない、ビジネス面の交渉、すなわち、②の交渉的アプローチが見えてくる、という意味では、チャレンジングな試みは成功しているように思います。
*3 BATNAとは、Best Alternateive to a Negotiated Agreement のことで、交渉で合意が成立しなかった場合の最善の代替案のことです。また、クリエイティブ・オプションとは、創造的選択肢のことです。引っかかってしまったアンカリングや二分法から脱却するために有効な概念だと思います。
*4 TMI総合法律事務所の淵邊先生の『シチュエーション別 提携契約の実務(第2版)』は、①の法的アプローチという観点からの契約交渉の具体的な提案例(代替案)を示してくれる書籍としては、提携契約という範囲には限定されていますが、非常に良い本だと思います。
*5 最近は、ビジネスサイドの方がハーバード流の交渉学の研修を受講することが多くなったせいか、その方々と契約交渉を一緒にしていて、私とはかなり交渉のスタンスが違うな、と思うことがありました(特に、クリエィティブ・オプションの豊富さでは。)。当初は、ビジネスサイドと法務の違いとして、その違いを良いものと考えていましたが、私自身も紛争関連で交渉をするため、社内外の交渉関連の研修を受講しているうちに、ハーバード流の交渉学の研修を受講することになり、少なくとも、ビジネスサイドの方々の交渉に対する考え方を私自身がきちんと理解する必要があると思うようになりました。
*6 特に、ビジネス上の力関係を前面に押し出した、「変更不可」とか、「変えられません。」といった交渉(?)が行われたときに、私の違和感は極限に達します。
*7 もしかすると、この部分で体系性のある理論を求めるのは、無理なことなのかもしれません。総合的なアプローチの実質は、交渉の実践の中で体得するものなのかもしれません。
*8 それにしても、今回の書評は、今まで書評をしてきた中でも一番難しかった気がしています。『法務・知財パーソンのための 契約交渉のセオリー』は、今までにあまりないタイプの本だと思います。私が理解できていないだけの良書なのか、それとも・・・。